
横浜JCエバンジェリストとは
(一社)横浜青年会議所は、クレイジーケンバンドの横山剣氏を
横浜JCのエバンジェリストとして任命し、就任して頂きました。
クレイジーケンバンドは2017年に結成20周年を向かえます。
そして(一社)横浜青年会議所は2020年のJCI世界会議を誘致する為、
より多くの人に(一社)横浜青年会議所の運動を知って頂く為に共に広報活動して行く事になりました。
【プロフィール】
横山剣 Crazy Ken
クレイジーケンバンド・リーダー/作曲・編曲・作詞・Keyboards・Vocal
小学校5年生(1971 年)の時、中古レコード屋の野外サウンド・システムにてマイク片手に実演販売を行う。こうしたことがキッカケとなって音楽の世界にのめり込んで行く。中学2年よりバンド活動を開始して以来、地元横浜を中心に数多くのバンドで活躍するが、1981 年にクールスRC のヴォーカル兼コンポーザーとして晴れてデビュー。以後、ダックテイルズ、ZAZOU、CK'S 等のバンドを経て、1997 年春クレイジーケンバンドを発足。
これを機に自分の作品に最も適したシンガーが自分である事に気付き、シンガー/ステージ・パフォーマーとしてのスキル&テクニックをも高めて行く。作曲家としては、堺正章、和田アキ子、SMAP、TOKIO、一青窈、松崎しげる、グループ魂、藤井フミヤ、ジェロ、関ジャニ∞、小泉今日子&中井貴一、TUBE、八代亜紀など、数多くのアーティストに楽曲提供。さらにm-flo、ライムスター、ARIA、マイティー・クラウン・ファミリーなど、ジャンルの壁を超越したコラボレーションを実現し、その音楽活動は多岐にわたる。その他、2007 年には初の自叙伝『マイ・スタンダード』(小学館)を約500 ページ全て本人による書き下ろしで発売し、たちまち重版が決定するなど発売直後から、各マスコミの注目を集めた。横山の文章は各分野でも高い評価を受けており、待望の文庫本化が決定。2012 年6 月に発売された。
口グセである「イイネ!」という独特の言い回しは、数々の露出の中で全国的に認知されることとなってゆく。
また不良中年のファッションリーダーとして各種雑誌のグラビアを飾ることも少なくない。
2013 年には初の演劇にもチャレンジ、浅草公会堂ホールで大座長公演を行う。2016 年には本人役を演じた映画「イイネ!イイネ!イイネ!」が沖縄国際映画祭で公開された。
大好きなクルマは横山の音楽の重要な要素を占めており、バイクのレースチームを率いたり、アメ車イベントに出演したりという活動を続け、近年は5 年連続でクラシックカーレース『La Festa Mille Miglia』に愛車オースティンヒーレーで出場、2016 年には筑波サーキットで行われた耐久レースに出場するなど、あこがれのモータースポーツに長年に渡り関わり続けている。
2017 年は、クレイジーケンバンドが20 周年を迎えるにあたり、さらに多彩な活躍が繰り広げられるであろう。
横浜JCエバンジェリストとの対談
特別対談テーマ
「不変の志~イイネ!横浜」
―森理事長(以下:森氏)
この度は横浜JCエバンジェリストをご快諾頂きまして、誠にありがとうございました。エバンジェリストとは伝道師といった意味合いです。横浜に根差しアイデンティティーを持つ横山剣さんと共に、共感の連鎖を広げたいという想いを持ってこの度オファーさせて頂きました。
―横山 剣 氏(以下:横山氏)
こちらこそ光栄です。共に横浜を盛り上げていきたいと考えています。ありがとうございます。
― クレイジーケンバンド結成20周年 ―
―森氏
クレイジーケンバンドは結成20周年を迎えると伺いました。実際バンド結成されるきっかけはどのような経緯だったのでしょうか。
―横山氏
元々一緒にバンドを組んだり離れたりしていた横浜の音楽仲間たちがいたのですが、本牧にイタリアンガーデンという50年代から続いているピザのレストランがありまして、そこに昔からの音楽仲間がたまたま居ました。ちょうどその時期に、自分に営業の話が2本あり、メンバーを探していたタイミングでした。その場で、皆に声を掛けました。その2本の営業で終わるはずの暫定的なバンドを組んだのが最初です。それがその2本の営業を通じて手応えみたいなものを感じました。映画『ブルースブラザーズ』で主役のJ.ベルーシが「バンドだ!」と叫ぶシーンがあるのですが、まさにそのような感じでメンバーに後光が射して見えたので、「これは一緒にやるしかない!」と思いました。そうしたら20年続いちゃいました。本当に始めはヌルット始まりました。
―森氏
元々一緒に活動していた仲間と会われて、今日に至るというのは偶然というか必然に近いですね。
―横山氏
そうですね。たまたま、よく集まっている店だったので、行けば誰かに会うという感じでした。
港湾関係で仕事をしている仲間が多く、そこにはプロもアマチュアも元プロのミュージシャンもいまして、本牧や大黒ふ頭等で頻繁にその仲間と車ですれ違うのです。元々バンドをやろうかなと話はしていたのですが、96年の暮れに具体的な話になり、97年の2月に最初のライブを行いました。そこから全ての物語が始まりました。
―森氏
それからは、ずっとここまで20年間走り続けてきたという感覚でしょうか。
―横山氏
「バンドやろうぜ。」、「続けようぜ。」という感じでは無かったので、変に肩に力が入りすぎず、気負わずに活動できたのが続いている理由かなと思っています。また、バンド結成の時、「こういうバンドを目指そう。」、「こういう音楽を目指そう。」等と決めないで、生まれた楽曲に対して真摯に向き合う、言ってみれば「楽曲至上主義」という考えで走ってきました。これによって人間同士のエゴとエゴがぶつかり合うことなくやって来られた。それが長続きの秘訣だったのではないかと思います。
―森氏
なるほどですね。楽曲至上主義、素敵ですね。
― 大切にすべきもの ―
―森氏
少しお話変わりますが、世界に変化をもたらす価値を発信しているシリコンバレーは、世界を本気で変えたいと思っている人達がいて、アカデミックな人達もいて、起業家とベンチャーキャピタルが混然としています。つまり地名ではなくコンセプトだと感じています。横浜青年会議所も一般社団法人や組織ということもそうなのですが、コンセプトでありたいと思っています。設立当社から、まちづくりの中心的な役割を担ってきました。横浜JCというコンセプトに集う人達は、より良くなろうという健全な意思を持っていて、自由闊達で個性を認め合い、ポジティブなカルチャーを有しています。自分と自分の大切な人達のために、この街を良くしていく。その過程でかけがえのない仲間を作り、自己成長を成し遂げていくということです。クレイジーケンバンドとしてのコンセプトは結成当初からあったのでしょうか。
―横山氏
バンド結成当初には明確なコンセプトというものは特段なかったです。本来2本の営業が済んだらもうサヨナラという予定でしたので、活動している内にコンセプトが浮かび上がってきたということですね。それは、グッとくる楽曲を世に送り出す「東洋一のサウンドマシーン」というコンセプトです。この対談をしているマリンタワーも「東洋一の灯台」と言われていて、そのような感じで「東洋一」という、いま一つ曖昧ながらもグッとくる感覚を取りこぼさず拾っていくような、皆様の好奇心をくすぐるような、横浜には良い意味で雑多で多様な価値がありますが、多国籍文化のミクスチャーというか、このようなものを音楽的に変換できたら良いなという想いは当初から持ち続けていました。
― 過去から引継ぐべきものは「志」 ―
―森氏
私達、横浜青年会議所の会員は本業を持っている中で、二枚目の名刺を持って、地域に根差し地域をより良くすべく活動をしています。その大義は、自分と自分の大切な人達や価値観のために自分達の街を良くすることです。自分の街が良くならなければ、この街で商売をして暮らす自分が良くなることはできないからです。横浜JCは過去に横浜スタジアムの建設推進や赤レンガ倉庫の商業利用化の提言等多くの功績を先輩方は残されているのですが、私が大切にすべきと思うのは、事業そのものではなくて、街を思う「志」だと考えています。剣さんにとっての大切にしてきた「志」とはどのようなものですか?
―横山氏
最初は若気の至りで20歳の頃は俺が俺がという感じでしたが、それがだんだん虚しくなり、言葉でいうと少し難しいのですが、「WANT」よりも「NEED」と言いますか、求められていることに応えることがやり甲斐であり、そこに喜びを感じるようになりました。私達のライブを観て、元気になって、「明日から仕事頑張れる」とか「学業を頑張れる」等、そのような形で何か皆様に活力が与えられたらという志を40代から段々と持つようになってきましたね。一人でも多くの方の心を明るく前向きにすることが、僕個人としてはミッションだと思っています。
―森氏
横浜の街を、横浜のひとをより良くしたいという想いは一緒ですね。
―横山氏
そうですね。色んな方に支えられて来ましたからね。
―横浜のために―
―森氏
20年のキャリアを経て、横浜を代表されるアーティストである剣さんにとって、横浜という街はどの様な存在ですか。
―横山氏
私は特に音楽に反応するので、音楽が溢れている街というイメージがあります。かつて横浜青年会議所の方々にお世話になったのは80年代ですけども、当時はダックテールズというグループで活動をしていまして、山下公園で開催される今の横浜開港祭の前身の「横浜どんたく」に出演しました。その時も多くの音楽に溢れていました。そして横浜開港祭、ここにもたくさん音楽が溢れていて、それで現在に至るまで、街と音楽が凄く一体化しているというか、横浜発祥の詩も凄く多く、淡谷のり子さんの時代から沢山あるわけですが、そういう音楽と一体となった街が自然に存在し、それに反応して私は育てられたという気持ちがあります。また、横浜から東京に仕事や遊びで行った帰りに、車で湾岸線を走り横浜に帰ってきますと、ベイブリッジから港の灯りが見えた時に、「帰ってきた」と安堵する。あの瞬間が凄く好きですね。たまらないですね。僕にとって、横浜に暮らしていることの喜びを感じる瞬間なのです。
―森氏
すごい共感できますね。自分の街にプライドを持つということは大切なことですよね。
―横山氏
今の自分が在るのは、この街のおかげですからね。
―森氏
剣さんはこのマリンタワーの名誉館長を務められていらっしゃいますが、以前には横浜市が取り組んでいたゴミゼロ運動等にもコミットされていたと伺いましたが、どのような活動だったのでしょうか。
―横山氏
横浜市の担当の方からご連絡を頂いて、ゴミ削減に向けての歌詞を全国の一般の方から募集して、その歌詞の中から私が選考させて頂いたのですけど、言わんとすることが伝わる歌詞と言うことと、覚えやすく、聴いている人に分かりやすい歌詞。しかもメロディーが乗せやすい。色々な条件をクリアしたものが選ばれました。その歌詞にメロディーを乗せて歌わせて頂いたのですが、これが横浜の清掃車の毎朝のゴミ収集車のスピーカーから流れるということでした。あまり偉そうなことは言えないのですが、それによって少しでもゴミに対して意識を持ち、考えていなかったことを考えるようになったので、自分を律する上でも、良いことに参加できたなと、とても嬉しく思っています。
―森氏
剣さんの影響力はとても大きいですので、僕らも横浜のまちづくりを実践している団体ですので、今年は横浜JCエバンジェリストとして、様々な事業において、一緒に盛り上げて頂ければと思っています。
―横山氏
そうですね。一緒に横浜を盛り上げながら、「まちづくり」に繋がれば僕としても嬉しいです。
― イイネ!横浜 を求めて ―
―森氏
横浜青年会議所としては、このJCという組織が全国に130の国と地域に展開されていまして、世界のJCメンバーが一堂に会する世界会議、JCIワールドコングレスという大会があります。それを色々なエリアで開催していくわけですが、2020年に横浜で世界会議を誘致しようということを2017年度からスタートさせて頂いています。先程、「東洋一」といったお話が出ましたが、剣さんの世界観や今後のクレイジーケンバンドとしての国際的な展望等を教えて頂けますか。
―横山氏
横浜の街自体がミクスチャーというか、ミックス文化、多様性に溢れています。音楽でもミクスチャーの音楽が好きで、もちろんソウルミュージック、映画音楽、ロックンロール等、色々な影響がありますけど、どれか一つということではなくて、それぞれの音楽がグッとくる部分をミックスする音楽を考えているのですけど、横浜の街の魅力は、中華街もあるし、山手地区もあるし、港もあるし、色々なものが圧縮されて、いわゆる少し郊外に行けば、高級住宅地でしたり、そのような箱庭的な魅力を横浜に感じる訳です。それが横浜の魅力であり、音楽を通じて、伝えていけたらなということで、韓国ソウル、台湾、パリでライブを行ったり、プロモーションビデオの撮影を香港で行ったり、そういった形で割とアジアが多いのですが、もっと色々な国に横浜をアピールしていきたいと思うと同時に、行った先でグッときたものや空気感を輸入して自分の音楽に投入していけたら良いなと思っています。
―森氏
私は、横浜という街自体が「ひと」と「もの」との交流を起点として発展を遂げた街なので、色々な価値に対してオープンであるというか、その国際的な感覚が横浜らしさを生んでいると感じていますが、剣さんはどのように感じていますか。
―横山氏
10代の頃は、本牧にまだ米軍のハウジングエリアがありました。PXの駐車場で日米親善盆踊りみたいなものがあり、炭坑節と東京音頭等も流れるのですがこれらに混じってモータウンサウンドも流れ、青い目の金髪の女の子が浴衣着て足元はコンバースのスニーカーという、ある意味トンチンカンなのですが、でもグッとくるというか、こういうミクスチャーも横浜らしさかなと、少しコミカルでチャーミングな部分が好きですね。横浜が愛されるとこかなと思いますね。
―森氏
もし世界会議を誘致できたら、世界からお越し頂くメンバーに対して、横浜でしか生み出せないフェイス・トゥ・フェイスの交流の場をしっかりと提供したいと思っています。様々な人々やアイデアが集積され、最先端の情報やナレッジへの接触の機会を提供することによって、他の地域では生まれることのない新たな価値を創出し、グローバルな競争力を押し上げる契機として本世界会議を位置付けたいと考えています。
―横山氏
やはり、横浜に来て頂くことが何よりもこの街の魅力を広げることになるので、ぜひ頑張って頂きたいなって、横浜を愛する一人としてJCの皆さんにエールを送ります。
―森氏
ありがとうございます。必ず、実現して見せます。最後に、剣さん、クレイジーケンバンドとして20周年の節目の活動として、力を入れている取り組みはありますか。
―横山氏
雨男が多くよく雨に降られるので、6年以上野外でのコンサートを敬遠していたのですが、今年は20周年ということもあるので、ここは一つ野外でビックにやりたいなということで、赤レンガ倉庫の野外特設会場、人数として2万弱入るのですかね。ここで一発20周年コンサートをやろうかなと思っておりまして、勿論、私たちのコンサートが中心なのですが横浜の色々なブースを出して、ちょっとしたお祭にできたらと思っております。9月の開催予定です。
―森氏
6月2日・3日には横浜開港祭も開催しますのでご予定が合えばお越し頂きたいと思います。
―横山氏
そうですね。是非参加したいですね。以前も横浜開港祭に参加させて頂き、色々とお世話になりました。1987年に出演させて頂きた時には、洋上ステージでダックテールズというバンドで山下公園の前の氷川丸がある横に洋上で少し揺れたのですけど、洋上ステージで演奏をしまして、90年にも、その時はザズーというグループでやりました。JCの皆さんとの良い思い出です。
― 不変の志 ―
―森氏
本日は剣さんに色々とお話しを伺った中で、横浜への愛情を強く感じました。お互い横浜の為に何ができるのかという共通項があり、横浜をより良くしようという精神が、まさに、今も昔も変わらない「不変の志」であると思っています。今回、一緒に活動できることを本当に嬉しく思います。私達の活動は慈善活動やボランティア活動では無く自己実現に他ならないと考えています。先人達からの「志」をしっかりと引継ぎ、常に積極的な変化を目指し、新たな価値を創造する不断の挑戦をし続けてまいります。そして、多くの市民から横浜JCイイネ!と言われる魅力ある団体を目指して行きたいと思います。また、剣さんとは横浜JCの広報親善大使、横浜JCエバンジェリストとして、共に横浜を盛り上げて行きたいと思っておりますので何卒、宜しくお願いします。
―横山氏
光栄です。ありがとうございます。大好きな横浜を共に盛り上げて行きましょう。
―森氏
今日は誠にありがとうございました。
―横山氏
こちらこそ、ありがとうございました。





